2002年11月23日夕方ごろ  

はじめに
このインタビューは私が、このホームページを作るにあたって、画集や資料などをみているうちに、田中清の人生に興味がわいたことから、このようなコンテンツを設けようと思いました。田中清の人生を知ることで、作品がまた違う視点でみえてきます。
掲載されている作品は、そのときの人生との関係性を考慮して私が選びました。 
 


















子供の頃


小学校ぐらいまでは、ほとんど勉強しなくても頭に入ったし、結構優等生だった(笑)。野山をかけめぐって、自分のみえる範囲の山と川と森は全部自分のエリアとして、走りまわってた。で、そこで、川にすんでいる魚、森にすんでいる動物、花、木、虫から鉱物まで、あらゆるものに興味があって、毎日のように、暗くなるまで山で走りまわってた、同じ学年から小さい子は面倒みながら、みんなで山里の自然そのまま楽しんでた。今みたいに、作られたもので遊んだり、お金払って遊ぶってことは少なくて、自然界のなかで工夫して遊んでた。



少年時代、作品への影響


大きいと思いますよ。だから、今の言葉で言えば、神が作ったカタチ、これ以上変えられないカタチ。そういう生き物の動きとか、春夏秋冬での変化、新芽から枯れるまでの。そういうことを直接目で見て、肌で感じて、知る。好奇心が強かったのだよね。だから、自然と、そこでしか生まれない環境とか状況とか、例えば、魚でいえば、ここにはこういう魚がいると、本能的に知っていくわけだよね。ここいけば、こういう花がある、こういう鳥がいるとかは、教科書で勉強したことは一度もないんだよ、でもそうやって、足でかせぎ体で感じ取って、それを集大成して、まぁ、カンを作り上げていく。それがたぶん、僕の仕事に、大人になってもそういう習性なのかな。そうやって、自分で感じていかないと納得できない。だから、そういうかたちで捕らえてきたよね。非常に大切なことだとおもう、作品は。結局、自分が納得しない限り作らない彫らない、そういうところにあるんじゃないかな。



少年時代の夢


夢はねー、前に本に書いたことあるんだけど、カールブッセじゃないけど、あの山の向こうに何があるのだろうと。ときたま都会から同年ぐらいの奴が夏に遊びにきたりするじゃない。そうするとやっぱし、身なりから話す言葉から、あらゆる物が違うわけだよね。すぐ友達になるんだけど、どうして違うのかが不思議だったから知りたくなるんだよね。自分では、精一杯走りまわって、広い世界を知ってると思うのだけど、しょせん小さな谷間の世界であって、やっぱり、鉄道に乗ってずっと向こうにはなんかとてつもない世界があるんじゃないかと、いつも思ってたよね。
なにかになりたいとかわね、すぐ影響受けるからね。中学校のときは数学の点がいいと数学の先生になりたい、ちょっと絵が描けると絵の先生になりたい、考古学のほうをやりたいとか、知ってみるとそのていど、真剣になにかになりたいっていうような、まだそこまでは考えてなかったかな。遊んでることそのものがまだ、楽しかったから。運動神経は発達してて、親に感謝してるよ。

  作品名(画像をクリックすると大きく観られます)
■「但馬」1978
■朝日新聞 (野菜畑から=杉浦明平)挿絵より
(3作品)